芝山仁王尊 「芝山仁王尊・観音教寺」  [社寺名で検索]  [二十四考・その他見立て絵図]  

[日本年号・江戸時代]

天台宗、天応山。通称、芝山仁王尊。
芝山仁王尊・観音教寺は今から1200年余り前の奈良時代末期、
右大臣藤原継縄公とその夫人百済王明信により創建されました。

中世には房総の豪族千葉氏の祈願寺として発展。
美しい十一面観音像(木造・漆箔 鎌倉時代初期)は千葉氏の姫君の姿を写したものと言い伝えられています。

戦国時代の混乱で一時衰退しましたが、江戸時代には徳川幕府のより十万石の格式を与えられる大寺となり、
火事泥棒除けの「仁王さま」として江戸庶民の参詣で賑わいました。

今日でも杉・もみじなどの古木に囲まれた広い境内に七堂伽藍が甍を競い、
房総を代表する大寺としての面目が保たれています。

[全国開運神社仏閣ガイド]より


[目的のお堂がクリックできれば行けます]

[仁王門] [水屋] [本堂]   [不動尊堂]
[三重塔] [芝山天神] [山王社]

芝山仁王尊・仁王門・(山武郡芝山町) 明治十五年(1882)再建完成 03.03.12

仁王尊立像(二躯):毘首羯摩作・・・『全国寺社・仏像ガイド』

明治初年代火事で山門は焼失してしまった、周辺の彫刻は嶋村俊表の作といわれているが・・・。
俊表は文久三年十一月すでに亡くなっているので、その線はない。

仁王門内外の欄間・蟇股・支輪どれも力作だが、
時代からでは十代嶋村俊明(唐四郎)になるが、銘が発見されず定かではナイ。


04.01.31
久しぶりに参拝。

本堂・三重塔・仁王門(山門)ともに作者不明と副住職様からメールを戴きました。
特に三重塔は建築経緯の記録があるのに、彫工の名は解らないようです。
仁王門は明治初期に再建されているが竜・獅子の大作が数多く備わっている。
総てが並の作ではなく著名な彫工と推察する。

この頃では嶋村文治郎俊準・十代嶋村俊明・俊表門人嶋村道友が考えられ、道友が当時上総で活躍している。

館山I彫刻師は仁王門[前・左]と、ある神社の竜の彫物に十代俊明の刻銘があり、
構図・作風が同じと申しておりました。

05.02.04
[子安神社](茂原市腰当)の向拝親子竜が芝山仁王尊・仁王門羽目板(正面右)に似ているので
確認をするためまたまた参拝する。

羽目板前後左右は4枚とも十代嶋村俊明に相違ないと確信した。
正面左の竜と右の子竜は同じ作風であり、
後側左右二面の竜も正面右の親竜と同じである。
*
仁王門

[全景]

[懸魚]

[中備]
仁王門外側

[前]

[左側]

[右側]
羽目板竜

[前・左]

[前・右]

[後・右]

[後・左]
仁王門中

[欄間左]

[欄間右]
仁王門外

[前・左]

[前・右]

[後・右]

[後・左]
芝山仁王尊・仁王門 04.08.17

[前・左] [左顔拡大] [右01]が嶋村俊明の構図、鼻の高さ・頭と下唇の渦巻きに特徴アリ。

06.06.29
[十代唐四郎俊明の構図・作風]が解ってきた。
木鼻獅子頭(16頭)は嶋村道友(中村交文)の作風で相違なし。と云っていたが
十代俊明もこの様な作風であることが判明した。
十代嶋村俊明
*
手水舎

[全景]
[懸魚]
[木鼻左]
[右]
[後01]
[02]
仁王門
竜の
羽目板
[左顔拡大]
[右拡大]

扉の竜
俊明作と想う

[右01]
[右02]
[左01]
[左02]
[年代]
仁王門
左頭貫

[01]:獅子
[02]:獅子
[03]:獅子
[04]:カイチ
仁王門
左頭貫

[05]:カイチ
[06]:獅子
[07]:獅子
[08]:獅子
仁王門
右頭貫

[01]:獅子
[02]:獅子
[03]:獅子
[04]:カイチ
仁王門
右頭貫

[05]:カイチ
[06]:獅子
[07]:獅子
[08]:獅子
仁王門 07.02.17参拝

今まであまり撮っていない画像を追加。

[資料]

背面羽目板
[左]
[拡大]
[右]
[拡大]
右仁王門入り口


[左]
[右]
左側羽目板
[左母屋]
[左全体]
[羽目板01]
[羽目板02]
[羽目板03]
右・妻側
[左全体]
[右側母屋]
[力神]
[竜馬]
[麒麟]
右側羽目板
[01]
[02]
[03]
[上へ]
芝山仁王尊・手水舎 04.08.17

[十代唐四郎嶋村俊明]

手水舎
[全景]
懸魚
[正面]
木鼻・正面
[左]
[右]
頭貫・裏側
[01]
[02]
手水舎 07.02.17参拝

木鼻は角度を変えて撮影

懸魚
[左]
[右]
木鼻
[前・左]
[右]
[後・左]
[右]
[上へ]

芝山仁王尊・本堂(観音堂)・向拝中備・堂内欄間3面

厄よけ観世音大菩薩をお祀りするお堂で、享保六年(1721)の建立。
堂内天井画:狩野実光筆
夏枯れの松の伝説を表す欄間:嶋村円哲
「観音教寺のご案内より」

03.03.12 03.03.15以下参拝

観音堂資料によると堂内欄間彫刻は「嶋村円哲」と云われているが、
観音堂資料では享保十年(1726)とある(竣工?)、圓鉄は享保五年(1721)没だから圓鉄の作ではない。

となると門人高弟の延実か舎弟の三代・俊実になるが、延実の作風ではない。
時代と出来上がりから観れば三代俊実の作と想われるが、
三代嶋村家は当時幕府御用勤につき、一般社寺に作は殆ど見られない。

※清澄寺厨子小脇板「昇竜・降竜」(墨書)嶋村唐四郎 享保十六年(1731)
※鴨川市某神社で俊実作(銘あり)の脇障子「牡丹に獅子」宝暦二年(1752)

本堂向拝竜   [向拝竜]   [顔部分拡大] 圓鉄の作風とは違う。
(鼻から目にかけての「クチバシ」部分はかなり「絞れている」感じがする)

時代から本堂に関して圓鉄は関係していないようだ。

本堂

[本堂]

[向拝中備]

[向拝竜]

[向拝竜裏]
本堂向拝

[木鼻左]

[木鼻右]
本堂欄間

[左側]
本堂欄間
中央

[左] [右]
本堂欄間

[右側]
天井絵
仙女

[右]

[左]

[署名]
観音教寺・本堂 05.11.16

[香取郡彫工]

時代・享保10(1726)年から判断すると前林善右衛門か?

向拝竜
[竜]
[拡大]
木鼻
[左]
[右]
観音教寺・本堂 07.02.17参拝

本堂背面の木鼻を追加

[正面]
[左から]
[背面]
背面頭貫
[01]
[02]
[03]
[04]
[右01]
[上へ]

芝山仁王尊・三重塔(観音教寺)・各階の尾垂木・蟇股・支輪 03.03.12

建立は擬宝珠に文政九年(1826)[年代刻字]

尾垂木・蟇股・支輪等の構図も古いと想われる。
香取郡嶋村系彫工の作と想われる。

三重塔

[資料]

[全景]

[一階右]

[1.2階右]
連三斗・斗組

[正面]

[正面02]

[左側]
[拡大]
[後側]
[右側]
[拡大]
連三斗・斗組

[2階正面]

[2階尾垂木]

[2階尾垂木右]
正面蟇股

[中拡大]

[中・莫]

[右・象]

[左・鳳凰]
左側蟇股

[右・]
[中・]
[左・]
後側蟇股

[右・]
[中・]
[左・]
右側蟇股

[右・]
[中・]
[左・]
正面蟇股

[1階全体]
観音教寺(山武郡芝山町) 三重塔 05.02.24

擬宝珠に文政九年の刻字が有るが彫工は不明

軒下のネットが取り外されていたので撮影に都合が良かった。

[香取郡彫工系]

年代から鈴木市右衛門・左右衛門(兄弟)・山中(嶋村)繁右衛門・嶋村田宮定直辺りか?

[正面]
[蟇股正面]
[尾垂木・左]
[尾垂木・右]
[二階まで]
[年代刻字]
三重塔 07.02.17参拝

尾垂木の彫刻を詳しく追加

擬宝珠の刻字:昭和四十五年度 修補

三重塔

[全景]
[擬宝珠・修補年]
[塔内・大黒天]
尾垂木・斗組
[左側斗組]
[左尾垂木・拡大]
[右側斗組]
[右尾垂木・拡大]
[背面右側]
[背面右から]
[左後尾垂木]
正面蟇股
[全面]
[中央・貘]
[拡大]
[左・花鳥]
[右・象]
[垂木拡大01]
[垂木拡大02]
[垂木拡大03]
[垂木拡大04]
左面
[全面]
[中央・鷲]
[左・鶴]
[右・麒麟]
[拡大]
背面
[全面]
[中央・竜馬]
[拡大]
[左・孔雀]
[右・花鳥]
右面
[全面]
[中央・獅子]
[拡大]
[左・鳳凰]
[右・松に鳥]
[上へ]

観音教寺・芝山天神 05.11.16

[長坂政右衛門恒教] 「推定」

[額]
[向拝]
[拡大]
[竜]
[拡大]
木鼻
[左]
[右]
小脇板
[左]
[右]
[上へ]

芝山仁王尊・山王社・向拝中備・小脇板・脇障子(山武郡芝山町) 03.03.12

向拝竜裏の刻銘は「下総 小見川 彫 竹ノ内邑 山幸鱗」

[竹内山幸]

本殿

[正面]

[右から]

[後]
本殿向拝

[正面]

[右から]
本殿向拝

[竜]

[刻銘右]

[刻銘左]
本殿妻飾

[左側]

[右側]
本殿障子

[左]

[右]
本殿小脇板

[左]

[右]
芝山仁王尊・山王社 05.11.16

ここの竜の角には火焔が掛かっている。
門人の[鈴木市右衛門]も同じ構図だが、木鼻獅子の構図が鈴木市右衛門と少し違っている。

[鳥居] 07.02.17

向拝
[正面]
[竜]
[拡大]
木鼻
[左]
[右]
[上へ]

不動尊堂 07.02.17

[正面] [不動尊像]

[上へ]